
才能の無駄遣いたる青春
小説を書くとは何なのか。映画を撮るとは何なのか。恋とは何か。学生の街、京都には無駄遣いされた才能の屍が累々と積み重なっている。その果てしない浪費の中にキラリと光る美があり、真実があり、あるいは真実と見紛う幻がある。森見氏の小説を読むと京の街をぶらつき、才能の屍を拾い集めたくなる。
なぜあのときの彼女は、鵜山の映画の中にしかいないのだろう
初出は『小説NON』2005年10月号〜2007年3月号。単行本は2007年3月20日リリース。祥伝社の渡辺真美子氏の提案より誕生した、森見流『新釈』5編である。中島敦の『山月記』をはじめとして、原作を愉しんでいる読者が、森見氏がこれらの作品をどう料理するのか、当然楽しみであろう。これが実に実に素晴らしいのだ。
5編がそれぞれに森見ワールドの異なった点を出していて、それぞれに良いのだけれど、あまりにもハチャメチャな『走れメロス』より、ぼくがぐっと来たのは『藪の中』と『桜の森の満開の下』である。映像的に展開するストーリーの見事さは正に森見ワールドの真骨頂だ。
そしていつものながらの京都の風景がシミル。男性心理と女性心理の見事な描写と洒脱な台詞にシビレっぱなしである。絶対オススメの一冊だ。
おすすめ。
内容がわからなくても、楽しく読めると思います。
走れメロスなんか、めちゃくちゃな話で面白くなってます。
山月記が特によい
走れメロスや山月記といった日本文学の古典的名作を題材に、森見登美彦が 京都の街を舞台に、描いた短編集。
表題作も面白かったが、最初の山月記が特によかったな。まさに暴走といった感じの作品。彼の作品って、自分の大学時代を思い出させるんだよなぁ。今回は麻雀の話も出てくるけど、それもそっくりだしね。いつの時代も大学生って変わらないのかな。
古典を紐解きたくなる一冊。
私は長いこと森見登美彦は言わば食わず嫌いで、「太陽の塔」を読んで以来ずっと敬遠してきたのだが、読んでみて、デビュー作よりも格段に文章に流れが出たような印象をもった。一時の気の迷いかもしれないと思い、「太陽の塔」(ハードカバーで二回読んだ後友達に貸したっきり返ってこなかった)の文庫版を新たに購入し直して読み返してみたが、やはり、大きなガッツはあるけれどもぎこちない文章の印象は変わらなかったので、すごく文章が読みやすくなったのだとおもう。
一番気に入ったのは、「山月記」新釈。荒唐無稽な上狂気に満ちあふれていてパワフルで、それでいて主人公が住み着いたのが中国四千年の仙人の澄みそうな山ならず、大文字の誰でも子供でも老女でも登れる小高い山と言うよりは丘だって言うのが、更に馬鹿馬鹿しくて、よし、最後まで読んでみようという気にさせてくれた。
「走れメロス」も良かったし、「桜の森の満開の下」や「百物語」は原文を知らないけれど楽しめた。
だが、「藪の下」にはもう一ひねり欲しかった。「映研」ネタは森見文学の中で私が最も興味を惹かれない話題だということがあってそのせいでこのセクションが好きでないのかというとそうではない。やはり「藪の下」は「藪の下」なのだ。芥川が描こうとした、人間の生への真実と欲望と執念をごった混ぜにした毒汁ぐだぐだのところから身をよじるようにして浮かび出てくるような卑屈なまでのプライドが本編には感じられない。せめて最後の無邪気な女の子が、そんじょそこらの青年の男汁を縮み上がらせるような魂の告白でもしてくれれば。。。と思ったが、さあ、どうかな?今までのところ、女性心理を描くことにかけては常に寸止めで来ている森見氏の今後に期待したいところ。
それ以外は、全体的な構成も良くて、楽しかった。