
反目する父の青春を訪ねて
兄の命日の日、地下鉄の永田町の階段を上がると、そこは三十年前の新中野の駅だった…。
社会的には世界を股に掛けた実業家の父、しかし家庭では横暴で自分の野心の為に家族も平気で犠牲にする父、その父に反目し地下鉄に投身自殺をした兄。
忘れもしないあの忌まわしい日に、主人公は戻っていた。
やがて地下鉄を通して時間がどんどん逆行を始める。
許せない、憎み続けてきた父。
その父に、そっくり似てきたと言われるようになってしまった現在の自分。
誰が何の為に時間の流れを引き戻すのか?
郷愁と懐古と哀愁を織り交ぜ、物語は意外な方向へ転向していきます。
*この手の話は、初めて読む時はドキドキしても結末を知った後はもう読み返す必要の無いチューイングガム的本と、結末を知っても尚、また読み返したくなるするめ的本の二種類があると思うのです。
そして、この本はまさしく後者です。
しかも随所に決め細やかな伏せ線が配置されていて、初見の時にはさらりと読めた所が、結末を知って後読み返す度に、「ああ、そうだったのか」と、切なくて、暖かくて、何度でも感動出来るのです。
楽しゅうて やがて悲しき 浅田かな
地下鉄はタイムマシン
古めかしい扉や洞窟ってそこを通り抜けると、別の場所や過去に通じているって、なんとなく分かる気がする。
洞窟的な通路の中でも、都会の地下に張り巡らされた地下鉄のちょっとさびれた古めかしさって一種独特の雰囲気で、
過去への通路になっているというのがしっくりくる。
怒涛の生涯を送った父親を基点に、過去を見ることになる、真次とみちこ。
なぜ彼らにだけ過去との接点ができたのか、ここだけが不思議だ。
過去へのタイムトラベルものって、ハッピーエンドに終わることが多い中、
運命の皮肉さを感じるラストが、あまり爽快感を感じることができなかった。
人生の苦い経験のトンネルを抜けたら、パァッと視界は開けたけど別の苦い人生が待っていたというような。
皮肉な人生の中にも、もう少し希望が欲しかった。
匂い立つ昭和
浅田次郎の作品は初めて読んだ。
この作品がデビュー作とのことですが、描写力も素晴らしくぐんぐんと引き込まれていった。
真次は大実業家となった父親の生き様を嫌悪して自分の人生を歩んでいくが、父親の存在は影のように真次につきまとってゆく。
しかし、兄の命日に主人公は「地下鉄に乗って」父親の過去へと誘われる。
父親の、その少年時代から成功するまでの歳月を真次は目の当たりにしていく。
その昭和初期から終戦後までの情景の描写も秀逸で、当時の匂いまでまとって浮かびあがるようある。
きっと地下鉄が本当に好きだろう作家自身の思いも生き生きと反映されている。
その描写力の確かさが、このファンタジー作品をよりいっそう際だたせている。
そして、その過去に生きる父親の姿は、少年時代は優しく純粋な姿を見せ、戦地では勇気ある若者をして描かれ、終戦直後においてはたくましく生き抜く男として描かれる。
この物語の主題が「父親と息子」であることから、やむを得なかったとしても、その傍らに生きる「女性」の生き様があまりにも削り取られている印象を受ける。
「小沼佐吉」にも「真次」にも、また、亡くなった兄にも・・
女性の存在が大きく影響していることをにおわせながらも、描かれていないこと、また、最後のミチコの行動が、その直前に聞いた会話を耳にしたときにとれるかどうか大変に疑問であり、残念であった。
母親の存在、ミチコの母の存在、そして妻の存在・・・そのあたりを続編としてでも描いて欲しいと思った。
メトロに乗って
映画化もされ、かなり期待して読んだ作品。
しかし、女性の私にとって最後のみっちゃんの行動が腑に落ちません。
あそこまでの行動をさせるには、なぜそこまで彼女が彼を愛したかという説得力をもたせるための書き込みがもっと必要だったと思います。
ただ単に、そうであったらいいという男の人にとっての都合よすぎる行動だったような気がしてしまいました。
父親(アムール)は、凄く魅力的なキャラクターだったと思います。
浅田作品に求めるもの
映画化もされ、ずっと気になっていた「メトロに乗って」を読んで、物語の構成の素晴らし
さに脱帽した。
しかし、この作品について残念に思う点がある。
「天国までの百マイル」「椿山課長の7日間」でも同じことを思ったが、これらの作品は、も
う少し長い物語でも良かったのではないだろうか?
「壬生義士伝」には、しっかりした溜めがあった。
もちろん、浅田次郎の作品は充分素晴らしい。しかし、一読者として、彼の作品に、もう少し
重厚なものを感じたいと思うのだが、贅沢だろうか?
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